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千葉地方裁判所 昭和55年(ワ)58号 判決 1985年12月25日

原告 中野洋

被告 日本国有鉄道

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  原告と被告との間に期間の定めのない雇用関係が存在することを確認する。

2  被告は原告に対し金一四万八八〇一円及び昭和五五年二月より毎月二〇日限り金一八万七八〇〇円とこれに対する訴状送達の日の翌日である昭和五五年二月五日(但し本訴状送達の時に弁済期末到来部分については各弁済期の翌日)より各完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は被告の負担とする。

4  第2項につき仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二当事者の主張

一  請求原因

1(一)  原告は、被告に雇用された職員であつて、右職員のうち動力車に関係し千葉鉄道管理局(以下「千葉局」という。)内に配属された職員をもつて組織する国鉄千葉動力車労働組合(以下「動労千葉」という。)に所属し、昭和五四年当時同組合の書記長の地位にあつた者である。

(二)  被告(以下「国鉄」ということがある。)は、日本国有鉄道法(以下「日鉄法」という。)に基づいて鉄道事業等を営む公共企業体である。

2  被告は、原告を昭和五五年一月七日付で解雇したとして、原告と被告との間の雇用契約の存在を争つている。

3  原告は、昭和五五年一月七日当時、被告から毎月二〇日限り基本給金一七万一六〇〇円及び扶養等手当として合計金一万六二〇〇円の賃金の支払を受けていた。

よつて、原告は被告に対し、原告と被告との間に期間の定めのない雇用関係の存在することの確認並びに昭和五五年一月八日より同月末日までの未払賃金一四万八八〇一円及び同年二月より毎月二〇日限り金一八万七八〇〇円の賃金とこれに対する本訴状送達の日の翌日である昭和五五年二月五日(但し、本訴状送達の時に弁済期末到来の部分については各弁済期の翌日)から各支払済みに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

全部認める。但し、原告は、昭和五五年一月七日付をもつて解雇され、すでに職員としての地位を有していないものである。

三  抗弁

1  動労千葉は、公共企業体等労働関係法(以下「公労法」という。)一七条一項によつて禁止されている「業務の正常な運営を阻害する行為」に該当する以下の各争議行為(以下「本件各争議行為」という。)を行つた。

(一)(1) 動労千葉は、昭和五四年四月二五日、いわゆる春季闘争において、勝浦、館山、木更津の三支部を拠点として、半日ストライキを実施した(以下「五四年春季闘争」という。)。

(2) そのため、次のような列車影響が生じた。

運休 外房線  七三本(うち貨物列車六本)

内房線  九六本(うち貨物列車三本)

木原線  一五本

久留里線 一五本

遅延 外房線  八本(最高一六分の遅れ)

内房線  六本(最高五分の遅れ)

その他、総武本線にも闘争の影響が生じた。

(二)(1) 被告の千葉局は、昭和五三年三月ごろから、新東京国際空港公団(以下「空港公団」という。)の要請に基づき、成田市等所在の新東京国際空港(以下「成田空港」という。)までジエツト燃料の貨車輸送を行つてきたところ、空港公団は被告に対し、被告総裁あて昭和五四年七月二七日付文書及び千葉局長あて同年九月二九日付文書によつて、成田空港が今後の国際航空便の増加に伴い必要とされる燃料の供給量が不十分な事態を改善しその正常な運営を維持できるようにするため、従来実施されていた茨城県鹿島港からの(以下「鹿島ルート」という。)一日三八〇〇キロリツトル、千葉県市原市からの(以下「千葉ルート」という。)一日一二〇〇キロリツトル、合計五〇〇〇キロリツトルの輸送について、前者の輸送量をさらに五〇〇キロリツトル増加して四三〇〇キロリツトルとし、総計五五〇〇キロリツトルにするよう要請した。

(2) 被告は、従来一日当たり一八両編成二本、一四両編成一本、一三両編成二本の合計五列車で行つていた鹿島ルートについて、一三両編成の二本をいずれも一八両編成に増結することによつて、空港公団からの増送の要請に対処することとし、昭和五四年一〇月一一日、動労千葉に対し、右燃料増送を通知した。

(3) これに対し、動労千葉は、一貫して右燃料増送に反対し、昭和五四年一〇月二二日、燃料輸送列車乗務員の指名ストライキを実施し、同年同月三一日及び一一月一日、燃料輸送列車乗務員の指名ストライキ及び全組合員によるいわゆる順法闘争を行つた(以下「ジエツト燃料増送反対闘争」という。)。

(4) そのため、つぎのような列車影響が生じた。

一〇月二二日

運休 成田線      五本(貨物列車)

一一月一日

運休 総武本線(緩行) 一二本(旅客列車)

成田線      一二本(貨物列車)

遅延 総武本線(快速) 七時ころより二二時ころまで(最高二四分の遅れ)

同   (緩行) 七時三〇分ころより一三時ころまで(最高一七分の遅れ)

但し、一部は並木信号場の保安装置故障(九時五六分から一一時二二分まで)と競合する。

外房線      五時ころより二三時ころまで(最高二〇分の遅れ)

内房線      六時ころより二三時ころまで(最高一七分の遅れ)

木原線      六本(最高一六分の遅れ)

成田、鹿島線   五時ころより二三時ころまで(最高九〇分の遅れ)

但し、並木信号場の保安装置故障と一部競合する。

久留里線     二一本(最高一六分の遅れ)

東金線      一五本(最高一四分の遅れ)

2  原告は、動労千葉の書記長として、本件各争議行為を計画し、指導し、実施させた責任者の一人である。

3  被告は原告に対し、昭和五四年一二月二七日、原告が動労千葉書記長として本件各争議行為を計画するとともにこれらを指導し実施させた責任者であるとして、公労法一七条一項、一八条の規定により昭和五五年一月七日をもつて解雇する旨通知した(以下「本件解雇」という。)。

四  抗弁に対する認否

1  抗弁1の各事実について

動労千葉が、五四年春季闘争において、昭和五四年四月二五日、勝浦、館山、木更津の三支部を拠点として半日ストライキを実施したこと、ジエツト燃料増送反対闘争において、同年一〇月二二日、燃料輸送列車乗務員の指名ストライキを実施したこと、同年同月三一日、一部組合員による順法闘争を行つたこと並びに同年一一月一日、燃料輸送列車乗務員の指名ストライキ及び全組合員による順法闘争を行つたことは認め、その余は争う。

2  同2及び3の各事実は認める。

五  再抗弁(解雇の無効)

本件解雇は、次の理由により無効である。

1  公労法一七条、一八条は憲法二八条に違反し無効である。

(一) 憲法二八条の労働基本権の基本的性格

憲法二八条は、「勤労者の団結する権利及び団体交渉、その他の団体行動をする権利はこれを保障する。」と定め、いわゆる労働基本権を明確に保障している。この労働基本権は、戦争の惨禍を踏まえて現憲法により初めて認められ、他の基本的人権と同じく第三章に規定され全く同じ次元で憲法上の保障を受けている。そしてこれらの憲法上の人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて(憲法九七条)、侵すことのできない永久の権利として現在及び将来の国民に与えられている(同法一一条)のである。

労働基本権は、労働者に対して「人間の自由と尊厳」を保障する目的、言い換えれば「人たるに値する生活」のために認められた基本的人権である。このような生存権の理念にもとづく労働基本権保障の意味は、労働者の団結、団結活動の自由の保障の結果として、労働者が「人たるに値する」生存が確保されているという点だけでなく、さらに労働者に団結、団結活動の自由を保障すること自身が、労働者に「人たるに値する生活」を保障するという点―つまり労働条件が高低いずれにあるにせよ、労働者の意見と無関係に使用者によつて事実上一方的に決定される状態を排斥し、真に平等な契約当事者の地位を回復する―に求めなければならない。憲法で認められた労働基本権は、かかる意味で、すなわち労働者の生存を実質的に確保し、労働者に真に「人たるに値する生活」を保障する目的で認められた不可欠の憲法上の基本的人権であり、憲法二八条が具体的に明示している団結権、団体交渉権及び団体行動権の三権は、一体としてその法的価値をになつていると同時に、一つ一つの権利が独自の機能を有しており、その一つを欠いても他の権利は無意味となつてしまうのである。

(二) 法令違憲

労働基本権の生成過程及びその生存権的性格に鑑みれば、労働基本権も他の憲法上の人権と同様不可侵性をもつものであつて、他の権利と異なる制約原理に支配されることはなく、これに対する制限は合理性の認められる必要最小限度のものにとどめなければならない。それゆえ、公労法一七条の規定の如く争議行為の全面一律禁止の規定は違憲であると言わざるを得ず、これを前提とする同法一八条もまた違憲である。

(三) 適用違憲

仮に公労法一七条、一八条の規定が直ちに憲法二八条に違反しないとしても、右法条を解釈・適用するに当たつては、憲法二八条の趣旨からして、必要最小限度の争議権を制限したものと解すべきであり、後述のような本件各争議行為の目的、規模、態様等に照らすと、原告に対して右各法条を適用することは、その限りで違憲無効である。

2  労働協約不存在による無効

ジエツト燃料貨車輸送及びジエツト燃料増送は、労働条件の変更を伴う業務であるので、被告と動労千葉との労働協約の締結が必要であるところ、被告と動労千葉との間では右労働協約が締結されていなかつたのであるから、動労千葉の組合員によつてなされていたジエツト燃料貨車輸送は被告の要請を個々の労働者が事実上承諾して就労するという事実行為としてなされていたものにすぎず、ジエツト燃料増送も被告が強制できる性格の業務ではなかつた。

公労法一七条違反をいうためには、ジエツト燃料貨車輸送業務が被告により動労千葉及びその組合員に対し強制できる業務でなければならないが、右の如く、動労千葉の組合員はジエツト燃料貨車輸送・増送に対して就労義務はないから、動労千葉の指令に基づき個々の組合員が貨車輸送に従事しなかつたとしても組合には何ら責任がなく、その指導責任を根拠として原告を公労法一八条により解雇することはできない。

3  不当労働行為による無効

本件解雇は、被告が、三里塚芝山連合空港反対同盟の農民と連帯して成田空港建設に反対し組合員の運転保安確保のため危険なジエツト燃料貨車輸送に反対するという動労千葉の正当な組合活動を嫌悪し、書記長である原告を解雇することによつて組合を弱体化し、組合への支配介入を意図して行つた極めて政治的な処分であり、労働組合法七条一号、三号に違反し無効である。

(一) 動労千葉は、国鉄動力車労働組合(以下「動労」又は「動労本部」という。)の「組合民主主義否定」「三里塚、ジエツト燃料貨車輸送反対闘争の圧殺」に抗議し、昭和五四年三月三〇日、国鉄動力車労働組合千葉地方本部(以下「動労千葉地本」という。)組合員一三〇〇名により動労本部から分離独立して結成された組合である。

(二) そのことから、被告は、動労本部と結託し次のような動労千葉を嫌悪、敵視する政策をとつた。

(1) 公共企業体等労働委員会(以下「公労委」という。)は、昭和五四年六月一五日、動労千葉を公労法上の組合として認めるに至り、被告も、同日ころまでには動労千葉の実態をある程度把握していたにもかかわらず、基本協約が双方間で締結できなかつたことを理由に同年一〇月まで動労千葉との団体交渉を拒否した。

(2) 被告は、昭和五四年一二月二九日付で局長名による千葉局報を出し、その中で「職場において仮に暴力行為が発生した場合……当局において現認した職員に対しては原則として免職処分にする」旨言明したが、右局報は、原告ら動労千葉組合員だけを狙い撃ちにし、暴力行為の元凶である動労本部側を免罪するものであつた。蓋し、実際問題として「当局において現認」できるのは動労千葉に属する組合員に限られるからである。

(3) 動労本部は、昭和五四年四月一七日、翌日に予定されていた動労千葉津田沼支部結成大会を妨害するため、約一五〇名のオルグ団を津田沼電車区に派遣し、青竹、石などで庁舎の窓ガラスを破壊したり動労千葉組合員約一〇名に傷害を負わせたりしたうえ、右行為により総武線列車八〇本が運休するという事態を発生させたが、被告は動労本部への処分を一切行わなかつた。

(4) 昭和五五年四月一四日、津田沼電車区において、動労本部側が、他管内から多数の動員(約三〇〇人)をかけ、春闘の総決起集会をやつていた動労千葉に対し暴力的に介入してきたことが発端となり、動労千葉組合員は、防衛のため阻止しようとして一時騒然となる事件が発生した。右事件につき、被告は、動労千葉組合員に対し、免職一名、停職一二か月一名という厳しい処分をしたのに対して、動労本部側に対しては、混乱が終つてから後の秩序回復に応じなかつたという理由をもつて停職一か月一名という処分をしたにとどまつた。

4  解雇の濫用

公労法一八条に基づく解雇は、労働基本権を保障した憲法の精神に鑑み、必要限度を越えない合理的な範囲にとどめなければならず、その合理的な範囲を越えた場合は解雇権の濫用として無効とされるべきである。本件においては、原告が本件各争議行為に及んだ経緯、動機、本件各争議行為の態様、影響及び各争議行為において原告が果たした役割、他の処分事例などからして、裁量権の逸脱が認められるのであつて、原告に対する公労法一八条に基づく本件解雇は無効である。

(一) 本件各争議行為の目的

(1) 五四年春季闘争は、公共企業体等労働組合協議会(以下「公労協」という。)傘下の組合とともに、生活防衛のための大幅賃上げ獲得と、結成間もない動労千葉として独自に団結権、団体交渉権、協約締結権等労働基本権確立を求めたものであつた。

(2) ジエツト燃料増送反対闘争は、ジエツト燃料貨車輸送の増送計画の撤回を求め、組合員の安全性確保(運転保安の確立)、労働条件改悪阻止及び合理化反対を目的としたものであつた。

(イ) ジエツト燃料貨車輸送の危険性

ジエツト燃料には、JET―A1、JET―Bの二種類があり、いずれも消防法上危険物第一及び第二石油類に属するものである。特に、JET―Bは、第一石油類の中でも引火点が常温よりはるかに低く発火源さえあればすぐ発火、爆発するもので、極めて危険性の高いものである。

空港公団は、昭和四六年八月一九日、成田空港で使用するジエツト燃料をパイプラインで輸送する旨公式発表をし、昭和四七年三月一五日、右パイプラインの埋設工事に着手した。同年六月、沿線住民から右パイプライン工事の差止めを求める仮処分申請が提起され(千葉地裁昭和四七年(ヨ)第一七六号)、仮処分申請自体は却下されたが、その決定理由中において、空港公団、千葉市等関係当局には、住民感情を考慮し関係住民との協議を重ねその納得を可及的に得るよう慎重な配慮をすることが望まれる旨指摘されるに及び、空港公団は、昭和四七年八月二日、沿線住民及び千葉市との三者会談を開催する旨合意したが、同月中旬、突然、ジエツト燃料貨車輸送の方針を発表した。空港公団は、右パイプライン計画に際し、沿線住民に対してジエツト燃料を「タンクローリーや貨車で運ぶよりパイプラインの方が安全」と説明していたが、その後一転して「貨車輸送は安全」と主張するに至つた。

そもそも、成田空港の建設そのものが、作為された航空需要(公共性)の名のもとに、住民を無視した政治的な決定に基づいて行われたが、その位置は都心から遠い内陸部であり、騒音問題をはじめ燃料輸送の困難性等の問題を伴つていたところ、ジエツト燃料貨車輸送は、以上の経過で発生したものであり、空港公団の失策から生じたものであるばかりか、それ自体極めて危険性を伴うものである。

(ロ) 運転保安の確保

千葉局内では、昭和四〇年から昭和五〇年にかけて線路補修等の保線要員が七〇〇人から四〇〇人に減少し、線路状況も悪化する一方であつた。動労千葉(当時は動労千葉地本)では、昭和四九年一一月三日から七日までの間、組合員が各線路を実際に歩いて点検するという運動を実施し、その結果、本件と関係のある成田線については、危険箇所が一六か所もあり、レール路盤に重要な犬釘のないものが一〇か所、手で抜ける等の用をなさないもの五七七か所もあつた。右のような状況であつたため、ジエツト燃料貨車輸送が始まる前、関係路線においては次のような様々な事故が発生していた。

<1> 昭和五〇年八月一三日、成田―下総松崎間で貨物列車が二両目から一〇両目まで脱線転覆し、積荷の苛性ソーダが付近の田畑に大量に流れ出した。

<2> 昭和五二年五月、酒々井駅構内で停車中の列車が線路の陥没により傾き、車両本体がホームに接触して動かなくなつた。

<3> 昭和五二年五月一三日、稲毛―新検見川間で重さ二五〇キログラムもあるバツテリー収納箱(電車床下に溶接されている)が脱落し、後輪で踏み潰した。

燃料列車は他の貨車に比べて非常に軸重が重く、それだけ線路に大きな負担をかけることとなるのであつて、線路状態を悪化させることは明白である。

さらに、関係線区のうち千葉―幕張間は、ここ一〇年来急速に人口が増加した地域であり、運転本数も増え、当時もおよそ二分半間隔で運転していた。このような超過密ダイヤで運転している区間に本件のようなジエツト燃料を輸送することは極めて危険である。

(ハ) 人員不足による労働強化

被告は、いわゆる国鉄三五万人体制を目指す大合理化を推進し、千葉局においても、人員補充がされないまま急速な人口増及びそれに伴う業務増を処理せざるを得ないという矛盾の中で、原告ら現場労働者に対する労働強化が図られてきた。千葉では、国鉄本社と動労本部との間で合意されていた「時間を短縮する」といういわゆる時短の実施が、燃料輸送に関する団体交渉が行われた昭和五二年末ころも全く実施されておらず、成田運転区においても、昭和四五年ころから始まつた空港建設関連資材輸送の業務増に伴い、多数の助勤者の助けを借りていたが、右助勤者らは遠方の管理局(北海道等)から来ている関係で休暇を数日まとめて取つたり、時期的(お盆や年末年始等)に集中したりする結果、成田運転区所属の動労千葉組合員らは自由に休暇も取れないという状況があつた。

ジエツト燃料貨車輸送に伴い、被告が現在要員のままで乗務員の運用効率アツプをはじめとする労働強化を図つてくることは十分予想され、原告らの労働条件が悪化することは明白であつた。

(ニ) 深夜輸送の危険性

ジエツト燃料貨車輸送の増送計画が提案された当時、燃料列車襲撃等の風聞が流され、現に昭和五四年一〇月一〇日午後一〇時三〇分ころ、走行中の機関車が襲撃され運転席が破壊されるという事件も発生した。

(二) 争議行為に至るまでの経緯(手続の正当性)

(1) ジエツト燃料輸送について

被告は、昭和五二年一二月二日、ジエツト燃料輸送について昭和五三年三月一日からのダイヤ改正に伴う労働条件変更問題として団体交渉を行うことを提案した。

動労千葉(当時は動労千葉地本)は、業務増を提案する前に要員を十分に確保する等して既に合意事項になつている時短を実施すべきであること、赤字を理由に様々な労働強化、要員合理化をしているにもかかわらず競争相手である航空会社の輸送増のために援助をするようなことはおかしいこと及び燃料輸送に伴う危険性を早急に除去し運転保安を確立すべきであることを主張し、責任ある回答がない限りダイヤ改正に反対であるとの立場をとつた。

交渉は、昭和五二年一二月二日以降翌五三年四月二八日までの間、一〇回に亘つて行われ、その間、線路について一定の改善がされたほか、時短については九月実施に努力するとの約束があつたこと等の一定の前進面があつたので、動労千葉は、最終的に昭和五三年五月一日からの燃料貨車輸送を行うようになつた。しかし、右交渉結果では、未だ線路の完全補修はされておらず、燃料列車の昼間帯移行は認められず、他管内からの助勤者増に伴う問題は解決されていなかつた。

(2) ジエツト燃料増送について

被告は、昭和五四年一〇月一一日、鹿島ルートのジエツト燃料輸送列車の増結を提案し、現行一三両列車については一八両又は一九両編成に、現行一八両列車は一九両編成にするという内容のものであつた。

動労千葉は、<1>増送計画を中止すること<2>夜間燃料列車を昼間帯に移すこと<3>運転保安確立と線路、踏切の根本的改善を明らかにすること等の八項目に亘る申入れを行つた。<1>は、<2>以下の諸条件が整わないままに今回の提案を受け入れるわけにはいかないということを表明したものであり、<2>は、昭和五四年一〇月一〇日のジエツト燃料列車の襲撃事件や、同月九日の線路継目板のボルトと犬釘が抜けていたという事件が発生していたため、夜間の燃料列車輸送は危険な状況にあるから昼間帯に移行することを、<3>は、成田線の線路整備については一定の整備がされたものの未だ完全ではなく、線路状態の悪化もなお残つていたので、時期・方法を明示した具体的な整備計画を出すことを、それぞれ申し入れたもので、いずれも労働条件変更問題として対応した。

交渉は、昭和五四年一〇月一一日から同月三一日までの間、五回に亘つて行われ、その間、動労千葉は、<1>夜間の列車を昼間帯に移行すること<2>もし今後、列車襲撃等の妨害があつた場合には安全が確認できるまで燃料列車を止めること<3>それまでの間は機関士を二人乗務とすること等の要求を出したが、それに対する被告の返答は、公安官を増やしてパトロールを強化するというだけで、昼間帯移行は物理的に無理であり、乗務員は一人乗務が前提であるというものであつて、団交の形式をとつたものの、あくまでも提案どおりジエツト燃料増送を強行するという姿勢に終始した。

(三) 業務の性質(無協約状態での輸送)

ジエツト燃料を貨車輸送するには、労使間で労働協約が必要であり、更に、増送の場合も労働条件の変更に当たるのでその旨の労働協約が必要である。動労千葉と被告との間には右協約は結ばれていなかつたのであるから、事実上個々の労働者(動労千葉組合員)が承諾してジエツト燃料の貨車輸送をしていることになるのであつて、これを拒否しても何ら法的には問題がない。

(四) 増送の必要性不存在

増送の必要性について、被告は「荷主を信頼する」というのみであり、千葉日報が何の根拠もなく(他新聞には掲載されなかつた。)「備蓄量三日分に」等と発表して危機感を煽つていたが、増送が実施されてから被告自らの判断による運休が増加しており、必ずしも増送が必要ではなかつたことを裏付けている。

(五) 本件各争議行為の規模及び影響

(1) 五四年春季闘争

昭和五四年四月二五日の闘争は、動労千葉が、全国の公労協傘下の各組合と共に闘つたものであり、勝浦、館山、木更津の三支部を拠点に始発から午前一〇時半までのストライキを実施した。被告の主張によれば、右闘争の影響は、列車運休が外房線七三本(うち貨物列車六本)、内房線九六本(うち貨物列車三本)、木原線、久留里線各一五本、列車遅延が外房線八本(遅延時間合計二七分)、内房線六本(遅延時間合計二三分)等となつている。

しかし、同日、国鉄労働組合千葉地方本部(以下「国鉄千葉地本」という。)が管内全線区において始発から午後一時まで車掌を含め全面ストライキを実施しており、右列車影響は、動労千葉のみの闘争では出すことはできず、却つて国労千葉地本だけの闘争でもこの程度の影響は十分に可能である。管内全線区の合計では、列車運休が九九三本(うち貨物列車一四九本)、列車遅延が七八本(遅延時間合計七二九分)であり、このことからみても、動労千葉の闘争による影響は極めてわずかであることは明らかである。

(2) ジエツト燃料増送反対闘争

昭和五四年秋の闘争において、動労千葉は、一〇月二二日、成田運転区の貨物列車につき半日の指名ストライキを、同月三一日及び一一月一日には一部減産と一一月一日に燃料列車の指名ストライキを実施した。

一〇月二二日の闘争によつては、貨物列車の運休が五本程度出たのみであり、同月三一日から一一月一日にかけての闘争によつては、燃料列車の運休が一〇本(積載列車五本と空列車五本)程度と列車遅延が並木信号機の故障と併せて約四〇〇〇分(被告の主張によれば、右闘争による影響は二二〇〇分ないし二三〇〇分程度)である。動労千葉の右闘争によつて、ジエツト燃料輸送の貨物列車に運休が出たが、国民生活に対する影響は殆どなく、右運休列車もその前後には正常に運行されており、全体的見地からしてジエツト燃料は足りておりさほどの影響はなかつたはずである。

(六) 処分の不均衡

(1) 動労千葉に対する処分

被告の千葉局は、本件各争議行為に対し、昭和五四年一二月二七日、原告を公労法による解雇、西森副委員長(当時)を停職三か月にしたのを始め、解雇一名、停職三名、減給一一名、戒告六名、訓告三七名、厳重注意四八名の合計一〇六名にも及ぶ処分をし、また、いわゆる五五年春季闘争と同年四月一五日の津田沼電車区の事件に対し、免職一名、停職一二か月一名を始め、免職一名、停職二名、減給一二名、戒告一九名、訓告八七名、厳重注意一六八名の合計二八九名にも及ぶ処分をした。

(2) 他組合に対する処分との不均衡

(イ) 国鉄労働組合(以下「国労」という。)、動労との不均衡

いわゆる五四年春季闘争では、国労、動労ともに全国規模で全面ストライキ(いわゆる交通ゼネスト)を想定し、現実に半日ストライキを決行した。また、いわゆる五五年春季闘争では、新幹線を除く全国規模で一九時間のストライキを決行した。これらの闘争に加え、昭和五四年三月六日に国労及び動労が一部ローカル線で行つた半日ストライキ、昭和五五年三月一二日に動労が一部ローカル線で行つた公共料金値上げなどに反対する一ないし三時間の時限ストライキ、同年三月二一日に動労が行つたローカル線廃止反対の順法闘争、同年四月一三日に国労が行つた運賃値上げ反対の出改札ストライキ並びに同日に同目的で動労及び動労千葉が行つた順法闘争を合わせて、昭和五五年五月三一日付で各組合に対して処分が通告された。

国労は停職一八三名、減給九〇〇名、戒告四〇七八名等合計七万七三四六名が、動労は停職一一五名、減給五三五名、戒告一二〇〇名等合計一万九七九八名が、それぞれ処分を受けたが、右五四年春季闘争と五五年春季闘争とを合わせて旅客数千万人近くに影響(五四年春季闘争時の半日ストライキのみで首都圏で五六三〇本が運休した。)が出た国労(組合員数約二五万名)、動労(組合員数約四万七〇〇〇名)に対しては解雇者はなく、停職が一番重いという処分結果を見れば、前記動労千葉(組合員数約一三〇〇名)に対する処分との不均衡は誰の目にも明らかである

(ロ) 国労千葉地本との不均衡

いわゆる五四年春季闘争の影響の大部分は国労千葉地本の前記闘争によるものであり、その内容は旅客列車運休が八四四本、貨物列車運休が一四九本、列車遅延は七八本(遅延時間合計七二九分)である。右闘争といわゆる五五年春季闘争とを行つた国労千葉地本に対する処分は、停職が一番重く三名で、合計三〇八七名に及んでいるが、動労千葉に対する前記処分に比べてはるかに軽い。

(ハ) 国鉄労働組合仙台地方本部(以下「国労仙台地本」という。)との不均衡

昭和五四年一〇月一日及び二日の両日にかけて、国労仙台地本がストライキを実施し東北線の貨物列車が一〇〇本以上運休するという事態が発生したが、右闘争に対しては、単に減給一名を含む五〇名弱の処分がされただけであつて、いわゆる五四年春季闘争の処分凍結解除も行われなかつた。ほぼ同じ時期に行われたジエツト燃料増送反対闘争に関する前記処分の内容と比較して、その不均衡は明白である。

(3) 従前の他闘争に関する処分との不均衡

(イ) ジエツト燃料貨車輸送反対闘争との不均衡

動労千葉地本は、ジエツト燃料貨車輸送そのものに反対し闘争を行つた際、昭和五二年一二月三日から昭和五三年三月三〇日までの間八波にわたる闘争を繰り返し、その中には三波のストライキを含むという強力な反対闘争であつたうえに、その後引き続き行われたいわゆる五三年春季闘争でも四波のストライキを含む五波の闘争を行つた。これら一連の闘争に対する処分は原告に対し停職一二か月であり、その処分結果は本件の原告に対する処分とはあまりにも大きくかけ離れていることは明白である。

(ロ) 政治的課題闘争との不均衡

原告らは、昭和五二年一一月から昭和五三年一二月ころまでの僅か一年余りの間にも、「国鉄運賃値上げ反対」、「国会々期延長反対」、「健保改悪反対」さらには「国際反戦デー」、「郵政マル生反対」などの諸闘争を行つているが、これらの闘争に対する処分に際し特に政治的課題追及の闘争であるから処分が重いなどということは全くなかつた。元来、労働組合は政治的行動を行うことを認められているし、ある闘争が政治闘争か経済闘争かを峻別することはできないのであり、ジエツト燃料増送反対闘争も組合員の労働条件に関する事項につき労使で団体交渉を行つたうえでなされたものであるから、これを政治的ストライキと見ることは誤つている。

(4) 五四年春季闘争の処分凍結解除

いわゆる五四年春季闘争に対しては、被告は全ての参加者について処分凍結措置を講じていたが、動労千葉以外の組合員に対してはいわゆる五五年春季闘争後の昭和五五年五月三一日に右処分凍結の解除がなされているのに対し、ひとり動労千葉に対してのみ昭和五四年一二月二七日に処分凍結解除がなされ処分が先行している。なお、被告は、右処分凍結の条件である「今後はストライキをしない」ことを最初に破つたのが動労千葉であると主張するが、前記国労仙台地本の例が示すとおり被告の右主張は事実に反している。

(5) 結語

本件解雇は、他の組合に対する処分との間においても、また、動労千葉ないしは動労千葉地本の他の闘争に対する処分との間においても極めて不均衡であり、著しく重い不当な処分である。

(七) 原告の役割

本件各争議行為は、動労千葉が組合として組織決定したものであり、原告は動労千葉の書記長としてその職責を遂行したという以上のものではないところ、組合規約からしても組織責任を言うならば執行委員長(当時の動労千葉関川宰執行委員長は公労法解雇され裁判中であつた。)の次は執行副委員長であつて書記長ではなく、本件解雇は明らかに原告を狙い撃ちにした違法不当な処分である。

特に、ジエツト燃料貨車輸送についてはその業務を日々担当していた動労千葉成田支部組合員が強い反対の意思を持つており、それは動労千葉組合員の総意とも言えるものであつて、原告は、動労千葉組合員の総意にもとづくジエツト燃料増送反対闘争に同組合書記長として関与し、その限度で指導したにすぎない。

六  再抗弁に対する認否及び反論

1  再抗弁1(憲法違反)について

本件各争議行為が、公労法一七条一項によつて禁止されている「業務の正常な運営を阻害する行為」に該当することは明らかであり、そして、右法条が原告主張のように違憲無効なものでないことは、既に最高裁判所の累次の判決(昭和四一年一〇月二六日・刑集二〇巻八号九〇一頁、昭和五二年五月四日・刑集三一巻三号一八二頁各大法廷判決等参照)によつて明確に判示されているところである。公労法一七条により、争議行為は、それが労働条件の維持改善等を目的とするか否かにかかわらずすべて禁止され、これに違反した職員が同法一八条による処分を含む民事責任を免れないことは、判例上確定しているのである。

2  再抗弁3(不当労働行為による無効)について

動労千葉が動労本部の方針に反対しこれから分裂したこと、昭和五四年四月当時被告が動労千葉との正式の団体交渉に応じなかつたことは認める。

被告は、動労千葉分裂後、組合組織間の抗争に介入したと見られることを避け、労働組合としての組織実態が適式に確認され、そのような組合との間において団体交渉に関する基本協約が締結されるまでは、従来の他の事例に準じて正式な交渉を持たなかつたにすぎず、その間も、動労千葉との間において、他組合との間において行つた交渉と実質上同様な話合いの場を設けて事案の処理に当たつていたのであるから、なんら不当労働行為を問擬される筋合にない。また、本件解雇は、違法な争議行為に基因するものであり、不当労働行為を云云する余地はない。

3  再抗弁4(解雇権の濫用)について

(一) 貨車輸送の対象となつたジエツト燃料油(ジエツトA―1)は、一般家庭で使用されていろ灯油から水分等の不純物を除去したもので、その品質、保全性は、日常生活必需品として鉄道輸送される一般灯油と同等であり、ガソリンに比較して引火点は高く、鉄道貨物の等級上もいわゆる二級品(灯油)として扱われ、危険品扱いの対象となるものではない。また、その輸送用の貨車は、日本石油輸送株式会社の私有車であつて、被告は右貨車が基準に適合していることを確認してその使用を了承した。なお、被告は空港公団からジエツトBの輸送の依頼は受けていない。

(二) ジエツト燃料貨車輸送は、成田空港の開港という国家的要請に応ずるものであり、空港公団は沿線各自治体の了解を得たうえで被告にこれを要請してきたのであつて、開始後は円滑に行われており、昭和五四年一〇月、成田空港における備蓄量増加の要請に伴う増送の際にも、それにより安全性及び労働条件が特に害されることはなかつたのであるが、被告は、動労千葉の数次の交渉に応じ、また従前夜間運行をしていた一列車の昼間帯移行等をも配慮しているのである。

(三) 昭和五四年一二月二七日の原告を含む動労千葉に関する処分については、他組合では見られない特殊な政治目的(それは、成田空港の廃港を目的とする不当なものである。)を有し独自に行つたジエツト燃料増送反対闘争を主たる対象としているのであるから、これと内容の異なる他組合の場合と対比してその軽量を云云できるものではない。また、昭和五五年五月三一日付処分についていえば、動労千葉組合員の一部には、いわゆる昭和五五年春季闘争に加えて職場秩序紊乱等の重大な処分事由も存したから、他に比して重い処分者が出る結果となつた。

(四) いわゆる昭和五四年春季闘争に関する処分凍結は、国鉄再建に向けての各組合の協力を期待してした異例の措置で、闘争の違法性及びその処分可能性に何等の影響を与えるものではない。したがつて、労働組合が重ねて違法な争議行為を行うような場合には、右凍結を解除し厳正な処分をもつて対処するのが凍結当時の方針に沿つた当然の措置であつて、他組合に対しても、重ねて違法な争議行為を行つたいわゆる昭和五五年春季闘争後に、同様にその凍結を解除して各違法行為に相応した処分が行われている。動労千葉の処分が先行したのは、同組合が他組合よりも違法な争議行為を先行したことの結果にすぎず、何ら不当に他組合と差別して処分をしたものではない。

昭和五四年一〇月ころ、国労仙台地本が行つた争議行為については、その規模が一地方本部に限られ、国労全体に対する凍結を解除するまでには至らなかつたが、本件との間に組合本部としての責任に差があることは明らかであるから、これを援用して本件措置が不当であるかのように非難することも理由がない。

(五) 本件解雇は、公労法一七条一項違反の行為に対してなされたもので、その行為態様については原告も自認するとおりであるし、これにより多大な列車影響が生じたこと及び原告が別表のとおり以前より再三再四服務違反により懲戒処分を受けたにもかかわらず違法な争議行為を繰り返したこと等を総合考慮すれば、本件解雇は相当であつて、何ら解雇権の濫用を云云される余地は存しない。

第三証拠<省略>

理由

第一  原告は、日鉄法に基づいて鉄道事業等を営む公共企業体である被告に雇用された職員であつたところ、被告は原告に対し、昭和五四年一二月二七日、公労法一七条一項、一八条の規定により昭和五五年一月七日をもつて解雇する旨通知し、以後、被告が原告との雇用契約の存在を争つているとの事実は、当事者間に争いがない。

第二  本件解雇は、原告が動労千葉の書記長として本件各争議行為を計画し指導し実施させた責任者であることを理由とするものであることは、当事者間に争いがなく、かつ、原告が右のとおり動労千葉の書記長の地位にあり本件各争議行為を計画し指導し実施させた責任者の一人であることも、当事者間に争いがない。

そこで、本件各争議行為の態様等について検討する。

一  五四年春季闘争について

成立に争いのない甲第一ないし第五号証、乙第一ないし第三号証、証人西森巌の証言により真正に成立したと認められる甲第一五、第一六号証及び証人小倉進の証言により真正に成立したと認められる乙第一一号証並びに証人藤田好一、同小倉進及び同西森巌の各証言並びに弁論の全趣旨を総合すると、次の事実を認めることができる。

1  動労千葉は、昭和五四年四月、大幅賃金値上げと、同年三月三〇日動労から分裂して新たに結成された組合として被告との団体交渉を目指した基本協約の締結を求め、五四年春季闘争を計画し、日本労働組合総評議会の春闘共闘委員会の主導のもとに公労協傘下の組合と同じ日にストライキを設定した。動労千葉は、第二回闘争委員会の確認に基づき、四月二〇日、次のような内容の闘争指令第一号を発し準備体制の確立について指令した。

(一) 各支部は、四月二一日一〇時より新小岩支部で「七九春闘勝利動労千葉総決起集会」を開催するので、最大限動員で結集すること。

(二) 各支部は、四月二一日一七時支部代表者会議を開催するので必ず参加すること。細部については別に指示する。

(三) 各支部は、四月二五日零時以降、全線区で七二時間ストライキ実施の準備体制を確立すること。

(四) 各支部は、組織点検行動を強化して、真の労働組合の形成をめざす活動を全組合員の合言葉として、役員・活動家・組合員の一本化をはかること。

(五) 各支部は、四月二三日以降、集中拠点交流オルグを実施するので、別に指示する動員体制を確立すること。

2  動労千葉は、四月二一日一〇時より新小岩支部において「七九春闘勝利動労千葉総決起集会」を開催した後、千葉市内において第二回支部代表者会議を開き、具体的内容として左記のごとく拠点を移動しながらの七二時間ストライキを繰り拡げていくという戦術を決定した。

四月二五日

Aグループ=零時より一二時・勝浦、館山、木更津

Bグループ=一二時より二四時・佐倉、銚子

四月二六日

Cグループ=零時より二四時・津田沼、千葉運転区、成田、蘇我、新小岩

Dグループ=始業時より一七時・幕張

四月二七日

A、B、Cグループ=零時より二四時

Dグループ=始業時より一七時

3  動労千葉は、四月二五日、勝浦、館山、木更津を拠点とする一二時間ストライキを開始したが、公労委における調停案五・六三%、平均額九六四一円をもつて公労協が二五日午前ストライキ中止を決定したのに伴い、動労千葉も、同日一〇時三〇分に中止指令を出し、さらに、団体交渉権等の労働基本権確立を目指して計画していた四月二六日及び二七日の四八時間ストライキについても、一定の前進を確認したとして、四月二六日零時三〇分、ストライキ準備体制の解除を指令した。

4  右争議行為により次のような列車影響が生じた。

運休 外房線  七三本(うち貨物列車六本)

内房線  九六本(うち貨物列車三本)

木原線  一五本

久留里線 一五本

遅延 外房線  八本(二分から一六分、合計二七分の遅れ)

内房線  六本(一分から五分、合計二三分の遅れ)

もつとも、国労千葉地本においても、四月二五日零時から二七日二四時まで管内全線区において七二時間のストライキを計画し、二五日にストライキ開始後、一三時本線上の運転再開を目途とする中止指令を発したことにより、右列車の運休、遅延は、国労千葉地本のストライキによる影響と競合して生じたものである。

二  ジエツト燃料増送反対闘争について

1  争議行為に至る経緯

成立に争いのない甲第一八号証、第二三号証、乙第四号証、第一九号証、第二一号証(甲第二三号証及び乙第二一号証については、原本の存在も争いがない。)、証人藤田好一の証言により真正に成立したと認められる甲一七号証、乙第一六ないし第一八号証、証人日暮明の証言により真正に成立したと認められる甲第二一号証、第二二号証の一ないし七、証人藤田好一、同布施宇一、同日暮明、同西森巌、同山口敏雄及び同秋山光文の各証言並びに原告本人尋問の結果を総合すると、次の事実を認めることができる。

(一) 増送の要請とその内容

(1) 被告の千葉局は、空港公団の要請に基づき、昭和五三年三月二日から、鹿島ルートで一日三八〇〇キロリツトル(一三両編成が二列車、一八両編成が二列車、一四両編成が一列車)、千葉ルートで一日一二〇〇キロリツトルの合計五〇〇〇キロリツトルのジエツト燃料の貨車輸送を行つていた。

(2) 空港公団は、成田空港におけるジエツト燃料備蓄量の減少と需要事情及び今後の国際航空需要の増加に伴うジエツト燃料必要量の増大のため、被告総裁あての昭和五四年七月二七日付文書により、さらに、被告千葉局長あての昭和五四年九月二九日付文書により、被告に対しジエツト燃料の増送の要請をした。その内容は、前記鹿島ルートの輸送量を従来一三両編成の二列車をそれぞれ五両づつ増結し一八両編成にすることによつて一日あたり四三〇〇キロリツトル、千葉ルートと合わせて一日合計五五〇〇キロリツトルとし(土屋基地の設備増強後は、鹿島ルートで一九両編成二列車、一八両編成二列車、一四両編成一列車の計一日あたり四四〇〇キロリツトル)、実施時期を昭和五四年一一月一日からとするものであつた。

(3) 右要請に基づく増送が実施された場合には、車両数が一三両編成から一八両編成に増加する二列車については、それを牽引する機関車が重連となり、それに伴い検修要員を三名増加する必要が見込まれたが、他に機関士等の人員数や勤務時間等の労働条件は従来のそれを格別変更する要はなかつた。

(4) 被告は、右要請を受け検修要員三名の準備をしたうえ、昭和五四年一〇月一一日、動労千葉に対し、鹿島ルートにおける燃料輸送列車の増結を提案した。

(二) 動労千葉の対応(交渉結果)

(1) 動労千葉は、成田空港の建設・開港自体に対し、空港の位置決定過程における違法性・不当性・公共性の不存在、空港の欠陥等の理由から反対であること、ジエツト燃料にはJET―A1とJET―Bとが含まれており、特にJET―Bは引火点が低く極めて危険性の高いものであつて、当初、空港公団は、安全性において最も優れたものとしてパイプラインによる輸送計画を有していたが、その後一転して貨車輸送を要請したという経過からしてジエツト燃料の貨車輸送そのものが極めて危険性を伴うと考えられること、千葉局内では、昭和四〇年以降、線路補修等の保線要員が減少したのに伴い線路状況が悪化し、ジエツト燃料貨車輸送の関係路線においては危険箇所が多数存在し種々の事故が発生したこと、被告の合理化推進により人員補充がなされないまま急速な人口増とそれに伴う業務増を処理せざるを得ないという状況の中で、ジエツト燃料貨車輸送により労働条件が更に悪化することなどから、ジエツト燃料の貨車輸送自体に反対であるという基本的姿勢を有していた。そして、右燃料貨車輸送が開始された昭和五三年三月当時、動労千葉(当時は動労千葉地本)は依然としてこれに反対していたが、同年四月に至り、動労本部の方針に従い、路線の整備・改善が行われたこと等を評価して、燃料貨車輸送の業務に就労することに戦術転換し、同年五月末以降その組合員が被告の勤務指定に従つてジエツト燃料貨車輸送に従事していた。

(2) 被告のジエツト燃料貨車輸送の増送計画の提案に対しても、動労千葉は、右の基本的姿勢を維持しつつ、<1>昭和五四年一〇月九日、成田線の滑川―久住間において、線路の継目板のボルトと犬釘が抜かれているという妨害があり、翌一〇日午後一〇時三〇分ころ、同区間において、ジエツト燃料列車である五五七〇列車が襲撃され運転席が破壊されるという事件が発生したため、夜間の燃料列車は危険な状況にあることから、昼間帯に移すべきこと、<2>動労千葉(当時は動労千葉地本)は、昭和四九年一一月三日から同月七日にかけて、千葉局内の全線区につき、組合員により徒歩で線路状況を調査した結果、ジエツト燃料輸送に関連のある成田線においては、道床路盤が浮いていた部分が五五か所、犬釘が手で抜ける箇所が五五七か所、犬釘がなかつたのが一〇か所、踏切等の危険な箇所が一六か所発見され、その後、成田線については一定の整備がなされたが、燃料列車輸送の増送計画の提案時には、なお不十分であつたことなどの理由で反対した。そして、動労千葉は、昭和五四年一〇月一三日付申入書により被告総裁及び千葉局長あてに、右事項を骨子とする八項目にわたる申入れを行つた。

(3) 交渉は、昭和五四年一〇月一一日から同月三一日までの間に五回に亘り行われ、被告は、燃料列車の夜間運行について、昭和五四年一〇月一一日に千葉局長名義で千葉県警察本部及び茨城県警察本部に書面で警備強化を要請し、被告自身も、これまで約一〇〇名の公安官による自動車のパトロールあるいは定点の警備を行つていたのを約三〇〇名の公安官による徒歩巡回という警備強化をすること、列車係の関係でも管理者あるいは指導員を添乗させるという措置をとること、昼間帯への移行については、北鹿島構内における信号機の増設や貨車の増備に要する期間のおおよその見通しを示して前向きに検討することを回答した。しかし、動労千葉は、具体的な期間を明示した運転計画が示されず、また、線路整備についても時期方法を明示した具体的な整備計画が出されなかつたとして、あくまで増送に反対したため、結局、右交渉は妥結せず、被告が従前どおりの勤務指定を継続したのに対し、動労千葉は昭和五四年一〇月二二日及び同月三一日から翌一一月一日にかけて下記のとおりの各争議行為を行うに至つた。(なお、動労千葉が被告に要求した夜間の燃料列車の保安問題等は、ジエツト燃料貨車輸送に関係のある国労千葉地本及び動労本部の二組合との交渉においても同様に取り上げられ、被告は動労千葉に対すると同様の方針を掲げて説明をしたところ、右二組合は右説明を受け入れて昭和五四年一〇月三一日までに被告との間で燃料輸送列車の増結問題につき交渉の妥結を見ている。)

2  争議行為の規模・態様及びその影響

前記乙第四号証、成立に争いのない乙第五ないし第一〇号証及び証人小倉進の証言により真正に成立したと認められる乙第一二、第一三号証、証人藤田好一、同小倉進、同西森巌及び同秋山光文の各証言並びに原告本人尋問の結果によると、次の事実を認めることができる。

(一) 一〇月二二日の闘争

(1) 動労千葉は、昭和五四年一〇月一二日、動力車会館会議室において、動労千葉第一回臨時委員会を開催し、同月二二日成田地区の貨物列車対象の一二時間ストライキを決定し、同月二二日零時より燃料輸送列車を対象とする職員の指名ストライキを実施した。

(2) 右争議行為の結果、貨物列車五本(燃料を積載した列車は二本)が運休するという影響が生じた。

(二) 一〇月三一日、一一月一日の闘争

(1) 動労千葉は、一〇月二五日及び二九日の支部代表者会議の確認に基づき、左記の闘争指令を全支部に発した。

<1> 全地上勤務者は、一〇月三一日始業時より一一月一日ストライキ終了時まで、減産B行動を実施すること。

<2> 全乗務員は、一一月一日始業時よりストライキ終了時まで、減産B行動を実施すること。但し、国電区間は始業時より正午までとする。

<3> 成田支部は一一月一日零時より二四時までの間、燃料輸送列車の指名ストライキを実施すること。

<4> 官憲・当局の不当介入・弾圧が行われた場合、闘争拠点を拡大する。全支部はいついかなる場合にも全組合員を対象としたストライキ準備体制を保持すること。

<5> 一〇月三一日一八時、成田支部において総決起集会を開催する。

(2) 動労千葉は、昭和五四年一〇月三一日から翌一一月一日にかけて、運転する職員についてはスピードを一割程度落とし、検修要員についてはのろのろ作業する形で能率を下げるという内容の減産行動を実施し、昭和五四年一一月一日には成田運転区において燃料列車を対象とする職員の指名ストライキを実施した。

(3) 右争議行為により、昭和五四年一一月一日、次のような列車影響が生じた。

運休 総武本線(緩行) 一二本(旅客列車)

成田線      一二本(貨物列車・うち燃料関係の列車は一〇本)

遅延 総武本線(快速) 七時ころより二二時ころまで(一分から二四分の遅れ)

(緩行) 七時三〇分ころより一三時ころまで(一分から一七分の遅れ)

外房線      五時ころより二三時ころまで(一分から二〇分の遅れ)

内房線      六時ころより二三時ころまで(一分から一七分の遅れ)

木原線      六本(一分から一六分の遅れ)

成田・鹿島線   五時ころより二三時ころまで(二分から九〇分の遅れ)

久留里線     二一本(二分から一六分の遅れ)

東金線      一五本(三分から一四分の遅れ)

右争議行為により運休した列車は、旅客列車一二本(指名ストライキの対象となつたものではないが、減産行動の影響により運転整理のため運休したもの)、貨物列車一二本(燃料を積載した列車は五本)で、列車遅延時分の合計は四二八七分である。

もつとも、右のうち列車遅延分については、同日九時五六分から一一時二二分までの間、成田線の並木信号場の保安装置が故障し列車が不通となつたため、それ以降の総武本線、成田・鹿島線の列車遅延は、減産行動による影響と保安装置故障による影響とが競合するものであるが、事故の影響があると見られる遅延部分を全部控除しても、旅客列車につき二二〇〇分ないし二三〇〇分の遅延が認められ、昭和五四年度の平常時における遅延につき、一応三〇〇分が標準となつていることと比較して、右旅客列車についての二二〇〇分ないし二三〇〇分の遅延は、動労千葉の一一月一日闘争(減産行動)により生じたものと認められる。

三  右事実によれば、動労千葉のした本件各争議行為は公労法一七条の禁止する業務阻害行為に該当し、原告の行為も同条の禁止行為に当たることが明らかであり、被告の抗弁は理由がある。

第三  本件解雇の無効原因について

一  再抗弁1(公労法一七条、二八条の憲法二八条違反)について

公労法一七条一項は、「職員及び組合は、公共企業体等に対して同盟罷業、怠業、その他業務の正常な運営を阻害する一切の行為をすることができない。又職員並びに組合の組合員及び役員は、このような禁止された行為を共謀し、そそのかし、若しくはあおつてはならない。」と規定して公共企業体等の職員については一切の争議行為を禁止し、更に、同法一八条は、「前条の規定に違反する行為をした職員は、解雇されるものとする。」と規定して同法一七条一項に違反した者に対する民事責任を定めている。

そして、原告は、公労法の右各規定は、憲法二八条に違反する等と主張するところ、勤労者のいわゆる労働基本権、すなわち団結権、団体交渉権及び団体行動権(争議権)は、憲法二八条により保障されている人権であり、尊重されるべきものであることは言うまでもないが、公共企業体等の職員の置かれている勤務条件の決定に関する憲法上の地位の特殊性、公共企業体等の事業ないし公共企業体等の職員の業務の公共性等に鑑み、かつ、右職員の争議権の否定に対応する代償措置の存在等を勘案するときは、公共企業体等の職員の争議行為を全面的に禁止した公労法一七条、一八条の各規定が憲法二八条に違反すると解することはできないのであり、また、当該争議行為の目的・規模・態様等の如何によつて、これに対し公労法一七条、一八条を適用することが違憲となると解すべきものでもない(最高裁判所昭和四四年(あ)第二五七一号同五二年五月四日大法延判決・刑集三一巻三号一八二頁等参照)。

したがつて、再抗弁1の各主張は採用することができない。なお公労法一八条の規定は、同法一七条違反の行為をした職員を一律に必ず解雇すべきであるとする趣旨ではなく、解雇するかどうか、また被告の場合であれば日鉄法三一条に基づく他の処分(懲戒解雇を含む。)をするかどうかは、職員のした違反行為の動機・態様・性質・程度や当該職員の処分歴等の諸般の事情に応じて、当該公共企業体等の裁量に委ねる趣旨と解される。そして、右の裁量は恣意にわたることは許されないが、その裁量権の行使の結果は、それが社会観念上著しく妥当を欠いて裁量権を濫用したと認められる場合に限り違法となると解すべきであり、この点、本件については後記四項において検討する。

二  再抗弁2(労働協約不存在による無効)について

1  証人藤田好一、同山口敏雄及び同秋山光文並びに原告本人尋問の結果によると、次の事実が認められる。

(一) ジエツト燃料の貨車輸送の開始にあたり、被告は、国労とは了解点に達しその旨の労働協約を締結したが、動労千葉地本との間においては、国労のように明確に燃料輸送に伴う労働条件という形での労働協約は締結されなかつたが、昭和五三年四月ころ、右燃料輸送を前提とする協定確認事項を結んだ(動労千葉地本が、そのころ、燃料貨車輸送問題につき戦術転換を行つたことは、前記(第二、二、1、(二)(1))のとおりである。)。

(二) 右のような状況の下で、昭和五三年三月二日から、助役機関士(かつてデイーゼル機関車の機関士を経験した管理職で、助役兼機関士という職名を発令された者)により、昭和五三年五月末からは、動労千葉(当時は動労千葉地本)の組合員により、ジエツト燃料の貨車輸送が行われていた。右組合員による就労が、被告の勤務指定に従つて行われていたことも、前認定のとおりである。

(三) 昭和五四年三月三〇日、動労千葉が動労本部から分裂独立した後、被告と動労千葉との間では、ジエツト燃料貨車輸送についての労働協約が締結されないままであつたが、事実上、格別の支障もなく従前どおりに動労千葉組合員により貨車輸送が行われていた。

(四) 昭和五四年一一月一日からのジエツト燃料の増送につき、被告は、国労及び動労本部との間ではその旨の労働協約を締結したが、動労千葉との間では、前認定の団体交渉を経たが了解点に達することができず、右協約は締結されなかつた。

2  ところで、ジエツト燃料の貨車輸送は、労働者の待遇に関連を有する事項であつて、労働条件に関するものとして労働協約の対象となるものと解され、右輸送を開始するに当たつては、被告は、各組合との間でその旨の労働協約を締結する必要があり、また、ジエツト燃料の増送についても、右労働条件を変更するものとして各組合との間で労働協約の締結が必要となるものと解されるところ、右認定した事実によれば、被告は、動労千葉との間では、ジエツト燃料の貨車輸送についてもまた増送の際にも、その旨の労働協約を締結することができなかつたのであるから、動労千葉所属の各組合員に対して、業務命令を発し、ジエツト燃料の輸送業務に就労することを強制することができるかは一つの問題である。しかしながら、ジエツト燃料貨車輸送は、鉄道営業法六条に基づいて行われる被告の通常の業務に属するものであることは明らかであり、右業務は昭和五三年五月末以来約一年五か月に亘り、主として動労千葉所属の組合員により、実質的な意味における協約とも言うべき前記の協定確認事項に基づき、被告の勤務指定に従うという形で円滑かつ継続的に遂行されていたのであるから、動労千葉が実施した本件ジエツト燃料増送反対闘争は、右業務の遂行を妨げるものであることは明らかで、公労法一七条一項が禁止する業務の正常な運営を阻害する行為に該当すると解すべきである。

三  再抗弁3(不当労働行為による無効)について

1  前記乙第三号証、成立に争いのない甲第二六号証、第二九ないし第三二号証、乙第一四、第一五号証(甲第二六号証については、原本の存在も争いがない。)、証人藤田好一及び同秋山光文の各証言並びに原告本人尋問の結果によると、次の事実を認めることができる。

(一) 動労千葉地本は、成田空港の反対運動に参加していたのに対し、動労本部は、昭和五三年夏の終りころ、右反対運動に対しては一線を画すべき旨の決定をし意見が対立していたところ、同年の秋、成田で開催された集会に動労千葉地本が参加したことから、動労本部は、昭和五四年三月二二日、動労千葉地本の執行部の全役員について執行権停止の処分をしたうえ、同月三〇日、動労本部の中央委員会において、動労千葉地本に対し、関川委員長、原告たる中野書記長、片岡津田沼支部長、吉野青年部長の除名処分と九名の組合員権停止処分という決定をした。これに対し、動労千葉地本は、同日、臨時大会を招集していたが、動労本部の中央委員会で前記決定がされた後、臨時大会を新組合の結成大会に切り替え新組合(動労千葉)の誕生を宣言した。

(二) 動労千葉は、翌三一日、関川委員長名義で被告に対し、新組合を結成したので団体交渉等について正式に応じられたい旨の申入れをしたが、被告は、組合分裂後の争いのある段階であつたため、動労千葉を正式の団体交渉相手にすることはその組合をいち早く認知したことになり、組合間の紛争に当局が介入したという形になることは好ましくないこと、動労本部から除名した者以外は依然として動労本部の組合員であるからその扱いをして欲しい旨の申入れがあり、また、組合員からの正式の脱退届・加入届も出されておらず新組合の組織の実態、組合員の範囲を把握していなかつたこと等から、従来組合が分裂したときの当局側の取扱いの慣行に従い、公労委によつて認知されるまでは動労千葉とは正式な団体交渉はしないという態度をとつていた。

(三) 公労委は、昭和五四年六月一五日、動労千葉を公労法上の組合として認知し、またそのころまでには、被告においても、団結署名が取られたことや各支部の結成大会が行われたことから動労千葉の組織実態をある程度把握するに至つていたが、被告と動労千葉との間には、団体交渉の場所について被告本社とするか千葉局とするかについて意見が対立していた等のため、団体交渉に関する基本協約が締結できず、同年一〇月までは正式な団体交渉は持たれなかつた。

(四) 昭和五四年九月二六日、被告と動労千葉との間で、団体交渉については千葉局において行うこと、事案の解決のために必要な場合は、本社権限事項について、被告本社と動労千葉との間で団体交渉を行うこと等を内容とする「団体交渉に関する協約」が締結され、昭和五四年一〇月一日、被告総裁から千葉局長へ団体交渉及び労働協約締結に関する権限の代行がなされるにおよび、それ以降は、被告と動労千葉との間で団体交渉が持たれるに至つた。

その間においても、正式な団体交渉という形式はとられなかつたが、事実上、被告は、動労千葉との間で、夏季輸送の問題、昇給の問題、千葉―津田沼間の高架化の問題等につき話合いを持ち、また、公労委による組合資格認定後は、三六協定や二四協定など当面必要な事項について組合資格が認定されているという前提で被告と動労千葉の間で協定を結んでいた。

(五) 動労千葉が動労本部から独立し新たな組合を結成した以降、動労千葉の支部結成活動と動労本部のオルグ活動をめぐり、両組合は職場等で相当な対立状態にあり各種の紛争が発生していたが、昭和五四年四月一七日、津田沼運転区において、両組合間の抗争により重軽傷者を出し総武線の列車が八〇本近く運休するという事件が発生した。右事件について、被告の千葉局は、事情聴取を行つたが双方の言分が異なつており、また、刑事事件に関しても職員が協力しないという事情から、事実関係についての事態解明が不可能であつたため、何らの処分をすることができなかつた。

(六) 被告は、両組合間の抗争の頻発に対処し職場秩序の回復を図るため、昭和五四年一二月二九日、「暴力行為の絶滅について」と題する千葉局報を各現場長あて通達し、今後職場において暴力行為が発生した場合には、当局において現認した職員に対して、原則として免職処分にするなど厳正に対処する方針を表明した。

(七) 昭和五五年四月一四日、津田沼運転区において、いわゆる五五年春季闘争の総決起集会をめぐり動労本部と動労千葉との間で暴力事件が発生した際に、被告の千葉局は、動労千葉組合員に対し免職一名、停職一二か月一名等の処分をし、動労本部組合員に対し停職一か月一名の処分をした。

2  右認定した事実によれば、動労千葉の結成以降昭和五四年一〇月までの間に、被告が同組合と正式の団体交渉を持たなかつたのは、被告において同組合の実態を正確に把握するに至つておらず組合間の抗争に介入することを避けるためや、両組合との間に団体交渉に関する基本協約が結ばれていなかつたこと等によるもので、止むを得ないと認められるものがあるばかりか、その間においても、他組合との団体交渉事項とされた事項については、事実上、動労千葉との間でも話合いの場が持たれ、必要な協定も締結されていたことが認められるのであるから、動労千葉との間で当初正式な団体交渉が行われなかつたことをもつて、被告が労働組合の結成・運営に不当に支配・介入したものと速断することはできない。また、昭和五四年一二月二九日付局報は、動労千葉と動労本部との抗争により暴行事件が多発していたことに鑑みて被告の職務遂行の万全と職場の秩序維持の観点から出されたものと認められ、その内容も暴力行為を行つた職員については当該職員の所属いかんにかかわらず厳正に対処するとの趣旨に外ならない。もつとも、右局報も、その運用のいかんによつては、原告主張のような組合間の差別的処遇となることも考えられるが、本件に顕われた証拠関係だけからは、被告が必ずしも右のような意図に基づいて右局報を発しかつ運用したと認定することはできず、前記認定の各種の事件に対して被告の千葉局がした処分の有無・軽重の点も、各事件のそれぞれに性質の相違や処分対象者の処分歴の差異があつて、一概にその外形上の比較のみから被告が動労千葉を嫌悪しその組織弱体化を意図していたものと推断することもできないところで、本件解雇は、労働組合の正当な行為をしたことに対する不利益な取扱いに当たるともきめつけられない。

本件解雇が不当労働行為に該当するとの主張は、採用することができない。

四  再抗弁4(解雇権の濫用)について

1  前記甲第一ないし第四号証、第一五、第一六号証、乙第四ないし第一〇号証、第一六ないし第一九号証、成立に争いのない甲第六ないし第一一号証、第一九、第二〇号証、第二四、第二五号証、原告本人尋問の結果により真正に成立したと認められる甲第二七号証、弁論の全趣旨により真正に成立したと認められる乙第二〇号証の一、二、証人藤田好一、同布施宇一、同日暮明、同西森巌及び同秋山光文の各証言並びに原告本人尋問の結果を総合すると、次の事実を認めることができる。

(一) ジエツト燃料には、ジエツトA―1とジエツトBとの二種類があるが、本件の輸送品目はジエツトA―1であり(被告が空港公団からジエツトBの貨車輸送を請け負つたとの事実を認めるべき証拠はなく、右事実の存在を前提としてジエツト燃料貨車輸送の危険性を論ずる原告の主張は根拠を欠く。)、右ジエツトA―1は、一般家庭で使用されている灯油と同等のもので、発火点も三八度と高く、国鉄の貨物の取扱いでは危険品扱いとされていない。灯油は全国各地で輸送の品目として取り扱われており、また、昭和五三年三月にジエツト燃料の貨車輸送が開始されて以降、その輸送それ自体からは右ジエツト燃料ないしその貨車輸送の危険性が大きいと見るべき事実は発生していない。

(二) 空港公団からジエツト燃料の増送の要請がなされた前後において、燃料列車の運休が一か月に四日ないし五日程度出ているが、油を積み込む設備の定期点検や、鹿島ルートにおいて積込みを担当していた鹿島石油では単身赴任者が多く、休日に休暇をとるという従業員の福祉厚生上の問題により、休日には燃料列車を運休にすることになつていたこと、大きな集会が予想される等情勢不穏の場合には関係者の判断で運休にしていたことがその理由と考えられ、そのような事実があつたからといつて、成田空港における燃料備蓄の必要性がなかつたとすることはできないのであり、空港公団という公共性のある顧客の要請を受けてジエツト燃料の増送に応ずることとした被告の立場は(異なつた立場からの評価の違いはあり得るにせよ)法益として保護されるべきことに変わりはない。

(三) いわゆる五四年春季闘争において、国労及び動労は、全面ストライキ(いわゆる交通ゼネスト)を計画し、昭和五四年四月二五日に半日ストライキを実施した結果、同日の始発から午後二時まで全国的に殆どの列車が全面ストツプし約一〇〇〇万人の足が奪われ、首都圏においても国電、ローカル列車など七五〇〇本のうち五六三〇本が運休し約五〇〇万人の足が奪われるという影響が生じた。また、いわゆる五五年春季闘争においては、国労及び動労は、新幹線を除く全国主要線区での一九時間ストライキを実施した。

これらの闘争等に対して、昭和五五年五月三一日に被告がした処分は、国労に対し、停職一八三名、減給九〇〇名、戒告四〇七八名、訓告二万四六六六名、厳重注意四万七五一九名の合計七万七三四六名(国労千葉地本に対しては、停職六名、減給三五名、戒告九二名、訓告九九四名、厳重注意一九六〇名の合計三〇八七名)であり、動労に対し、停職一一五名、減給五三五名、戒告一二〇〇名、訓告五九二七名、厳重注意一万二〇二一名の合計一万九七九八名であつた。実質上の被害が出る戒告以上の処分者数を全体の七・三パーセント、二回以上になると昇給がストツプする訓告処分者を全体の三一パーセントと数を多くして処分を重くしたものであるが、解雇者はなく、昭和五〇年から同五三年までの間は一回に九万人から一四万人と大量だつたのに比べ、右処分は二回(二年)分で十万人に達せず処分者総数は減少したという内容のものであつた。

これに対し、本件各争議行為に関して昭和五四年一二月二七日に被告が動労千葉に対してした処分の内容は、解雇一名、停職三名、減給一一名、戒告六名、訓告三七名、厳重注意四八名の合計一〇六名というものであるが、被告は、成田空港の建設・開港の反対運動についての意見の対立から動労千葉が動労から分裂独立したという経緯、動労千葉が右反対運動に組合として参加していたこと、ジエツト燃料増送反対闘争は成田空港における燃料備蓄を零にして同空港を廃港に追い込むという闘争目的を掲げて主にジエツト燃料の輸送列車を対象としてなされたものであることなどから、右闘争は従来の闘争には見られなかつた極めて特殊な政治的目的を有するものであることを重視して、右の処分をした。

(四) 昭和五四年一〇月一日から翌二日にかけて、国労仙台地本は合理化反対闘争を実施し、その結果東北線の貨物列車一〇〇本以上が運休したが、右闘争に関して、被告は、同年一二月二四日ころ、国労仙台地本の関係者に対し、減給六か月一〇分の一を最高に五〇名弱につき処分をなした。

右処分にあたりいわゆる五四年春季闘争についての処分凍結の解除はされなかつたのに対し、本件各争議行為の動労千葉に対する処分の際には右処分凍結の解除がされたが、いわゆる五四年春季闘争に関する処分が凍結されたのは、今後の国鉄再建への気持を職員に対して持つてもらい、以後違法行為を行わないことを期待したもので、再び違法行為が行われたときは右凍結を解除して処分を執行するという趣旨のものであつて、動労千葉については、ジエツト燃料増送反対闘争が行われて処分をする時点において、五四年春季闘争の処分もせざるを得ないという判断のもとに右処分凍結の解除がされたのに対し、前記国労仙台地本の闘争については、基本的には国労という組合全体について処分が凍結されており、仙台という一地本のいわば部分的な職場におけるストライキによつて国労全体の処分凍結を解除するのは相当でないという判断のもとに右闘争についてのみ処分がなされた。

(五) 本件各争議行為が行われた当時の動労千葉の役員は、執行委員長が関川宰、執行副委員長が西森巌、書記長が原告であり、組合規約からすれば、執行委員長が欠けた場合には執行副委員長に執行権限があり書記長にはないという定めになつているが、被告は、労使問題の交渉等を通じて、原告が動労千葉における企画と実行につき極めて実質的な指導者であるという認識(この点は、労働組合内部においても同様の認識が持たれていた。)のもとに、別表のとおりの原告の処分歴と昭和五三年一〇月のダイヤ改正について行われた秋の闘争に関してなされた停職三か月の処分とを考慮して、原告に対し、本件解雇をした。

2  右に認定した事実と前記第二で認定した事実によれば、被告は、本件ジエツト燃料増送反対闘争が主として燃料輸送列車を対象にした指名ストライキであつたこと等から右闘争の特殊性を考慮し、併せていわゆる五四年春季闘争に関する処分凍結を解除し、原告の動労千葉における実質的な指導力に着眼して、原告に対し、本件解雇を行つたものであるが、右のうち、いわゆる五四年春季闘争に関する処分については、動労千葉に対してのみ理由もなく凍結の解除を先行させたものと言うことができないところであるし、また、ジエツト燃料の貨車輸送については、動労千葉所属の組合員の多くが機関士であり、輸送に伴う危険性を最も切実に感ずる役割を担つていることから運転保安の問題について格別の関心があるという点は心情的に理解されて然るべきものがあるとはいえ、ジエツト燃料貨車輸送は被告の正当な業務であり、その増送の要請を受けた経緯からして貨車輸送の中断は被告の信用を甚だ失墜させることにもなりかねないところ、動労千葉は右の増送の必要性を知つていたにもかかわらず成田空港を廃港に追い込むという政治的主張を掲げて反対し、運転保安の点でも被告が示した現実的に可能な範囲での対策案を拒否して本件ジエツト燃料増送反対闘争を実施し、前記のとおりの列車影響をも生ぜしめたのであつてみれば、被告が、前認定のとおりの組合に対する指導力を有し、かつ度重なる服務違反に基づく処分歴のある原告に対してした本件解雇は、被告の裁量の範囲を著しく逸脱したものとは認められず、解雇権の濫用に当たると言うことはできない。原告の再抗弁は、いずれも採用することができない。

第四  結論

以上の次第で、原告の請求は、その余の点について判断するまでもなく、いずれも理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 友納治夫 河村吉晃 濱本光一)

(別紙)

中野 洋処分歴

処分年月日

処分内容

事由

記事

四一・一二・一

日本国有鉄道法第三一条により戒告

服務違反

四二・一・一〇

〃             〃

四二・六・一〇

〃一月間俸給の十分の一減給

四三・九・一

〃二月間俸給の十分の一 〃

四四・七・一〇

〃一月間俸給の十分の一 〃

四四・一〇・一

〃        戒告

四二・一二・一五闘争

四四・一二・三〇

〃一月間俸給の十分の一減給

四三・二・二六~二九順法闘争

四三・三・二及び三・二三闘争

四五・二・一

〃五月間俸給の十分の一 〃

四四・四・一七闘争

四六・三・一

〃六月間俸給の十分の一 〃

四五・九・二五闘争

四六・一一・一

〃六月間俸給の十分の一 〃

四六・五・一八闘争

四八・一・一

〃        戒告

四七・四・二七勤労闘争

四九・三・三〇

〃二月間俸給の十分の一減給

服務違反

四八・四・二七・二八闘争

四九・八・一

日本国有鉄道法第三一条により一月間停職

四八・九・二一闘争

五〇・九・二七

〃            六月間 〃

五〇・五春闘等

五一・一〇・二

〃           一〇月間 〃

五〇・スト権奪環闘争

五二・一一・一

〃           一〇月間 〃

五一・春闘

五三・九・一

〃            四月間 〃

五二・春闘

五四・一・一

〃           一二月間 〃

五三春闘

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